こんにちはmasayaです。
私は学生時代それほど勉強が好きなタイプではありませんでした。
しかし、大人になってから初めて学問の楽しさに触れることができたと感じます。
学校という教育機関では学問は『つまらないが乗り越えねばならない厳しいタスク』としての位置づけになっており、
これでは勉強や面白いと感じる人は減ってしまうわけです。
今回は、勉強や学問は本来は苦行ではない話についてご紹介します。
勉強や学問は本来は苦行ではない
日本の教育は、何か厳しいタスクを与えてて
『それを文句を言わずにやる真面目で従順な人が評価され生産される』という機構です。
つまり、学問は『つまらないが乗り越えねばならない厳しいタスク』というイメージが定着しているんですね。
しかし、学問とは本来『世界の仕組みが解る楽しさ』という側面があるのですが、
これが日本の教育では軽視され過ぎていると思います。日本の教育では、
・痛みを経なければ達成できない
という『精神論に囚われすぎている傾向』があり、
本来は楽しい事も『苦行に仕立てて乗り越えさせる』というところがあります。
これは学問以外にもスポーツや仕事にも同じことが言えます。
仕事とは『辛くて大変なもの』とされ、楽しい仕事は『甘い』とされるわけです。
その弊害として、無理難題なことや非情なこと理不尽なことも
『仕事だから当たり前、やらなきゃいけない』と思い込まされているわけです。
自分のしたいことがわからない思考停止したロボット
学生時代に『つまらないが乗り越えねばならない厳しいタスク』を将来のためと
今は我慢して続けているうちに『自分が本当に好きだったことも忘れて』しまい、
『教師や親から言われたことだけをこなすようになっていってしまう人』が非常に多いです。
こうした人たちは具体的に以下のような特徴があります。
・とにかく自分の頭で考えたくない。
・思考は放棄して決定権を委ねる。
・言われたことだけやる。
・同調圧力の流れに乗っかる。
日本の教育自体が『文句を言わずに真面目で従順』なロボットみたいな人たちを作りたいと思っています。
つまり『頭はいいけど考えない人間』が欲しいんですね。
大人になってから好きなことがわからない人やどうやって人生を進めば良いのかわからない人など
『自分の人生の羅針盤』を持っていない人たちが日本には大勢います。
問いを学ぶ『学問』こそ今求められている最重要なスキル
私自身が学ぶことの楽しさを知ったのは、大人になってから世界の広さや複雑さ、
そしてその中で『生きる面白さや難しさを知ってから』でした。
学生時代というのは『成績という外部評価を獲得するための行為』でしかなく、
同時にその当時の自分は学問を面白く思うことは難しかったです。
大人になり『何故?どうして?』という自問自答を繰り返して、
それを自ら調べて解決しなければ、他人の意見を聞いて熟考するという過程によって学問が好きになっていました。
元々、学問とは『問いを学ぶ』と書いて学問です。問が希少である社会だからこそ、
ただ与えられた課題や問題を解決するロボットになるのではなく、
自ら興味を持ち問を立てて自ら能動的に学ぶ姿勢こそが『今の社会に求められる力』だと私は考えています。
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