こんにちはmasayaです。
コロナ禍によって日本人は『ゼロリスクを求める傾向が非常に強い』と感じました。
日本人の民族性も関係すると思いますが『リスクマネジメント』ができないことが大きな要因だと思っています。
今回は、日本人はリスクのとり方が下手だという話についてご紹介します。
日本人はゼロリスクを求める傾向が強い
日本人は『ゼロリスク』を求める傾向が非常に強いです。
もちろん、人間は多かれ少なかれ『安全・安心』を求めますが、日本人はそれがいささか過剰です。
今回の新型コロナで多くの人が『ゼロリスク思考』で考えている人が多いです。
しかし、この世の中には『ゼロリスク』は存在しないです。
リスクを低減や回避することはできたとしても『リスク自体をゼロにはできない』からです。
例えば、自動車を例にして話ましょう。人類が自動車を生み出して、
新たな『移動手段』を手に入れて便利になった反面で『交通事故』というリスクは発生しました。
そのために交通事故による『死亡のリスク』を減らすために
シートベルトが義務化されたり、安全性のが高めらたりという取り組みがありました。
しかし、交通事故による死亡者は『ゼロ』にはならないのです。
もし、ゼロリスク思考の人が自動車をゼロリスクで考えた場合、以下の2つを行わなければなりません。
・外出しない
当然そんな生活は無理がありますし、ゼロリスク思考は非常に生きづらいものになってしまいます。
では次に『安全』と『安心』の違いを整理してみましょう。
安心:人それぞれに委ねられれるもの自らが理解や納得する→主体的感情
安全は『事実』によって安心は『心』によって決定されます。
世の中に完全に安全というものは『安全を担保する科学が絶対的なものではない』ので存在しません。
つまり『ゼロリスクは存在しない』ということです。自動車も同様にリスクがあり、ゼロリスクは存在しません。
死亡事故リスクを軽減や回避するための技術開発は続けられますが『ゼロ』にはできないのです。
ゼロリスク思考のままだと、本来自動車を活用することによって
受けられる享受されるメリットを失うこともありえます。
いかにゼロリスク思考が非現実的であることが理解できるかと思います。
日本人がゼロリスクを求める4つの理由
では、日本人がゼロリスクを求める4つの理由について説明します。
・データや事実よりも自分の感情を優先するから
・極端に不安を抱える民族性だから
・失敗を受け入れられないシステムだから
自分の頭でリスク評価を考えられないから
ゼロリスク思考の人の多くは『頭を使って考えることすらできない人』や『頭を使いたく無い人』が多いです。
彼らは『リスク許容がどの程度のレベルなのか』を頭を使って考えられないからです。
頭を使いたくないので『ゼロ』であることにしておきたいのです。
『ゼロ』であれば頭を使ってリスクを評価する必要が無いからです。
データや事実よりも自分の感情を優先するから
データや事実よりも自分の感情を優先する人もゼロリスク思考になりやすいです。
人間は、客観的な状態ではなく『心的表象(メンタル・レプレゼンテーションズ)』によって判断する傾向があります。
わかりやすく言うと『印象』によって物事を判断してしまうということです。
ニュースで『怖い、危ない、可愛そう』という感情が生まれると『フレーム(フレーミング)』ができます。
一旦フレームができてしまうと、フレームがかなり影響して『客観的なデータ』は重要視されなくなります。
客観的なデータよりも『印象』や『感情』が優先されます。
例えば、メディアは視聴率が取れるからという理由で、
新型コロナのニュースで必要以上に視聴者に対して怖いという印象を植え付けます。
テレビを見ている視聴者はフレームにより、客観的なデータが重要視されなくなり、
印象や感情といった自分の気持ちが優先され『コロナ脳』や『自粛警察』になってしまうということです。
極端に不安を抱える民族性だから
日本人は世界一『不安になりやすい』民族だと言われています。
2008年に発表された調査によると、日本人はS型の遺伝子を持っており(1本あるいは2本ともS型)
ネガティブになりやすい人の割合が『80%』を超えているようです。また、調査対象となった29カ国で『1位』です。
ちなみにアメリカやヨーロッパは『45%』に満たないようです。日本人の遺伝子のネガティブぶりは際立っています。
不安になりやすいということは『安心』を求めます。
ゼロリスク思考な人は安心を求めるために『他人を巻き添え』にします。
自分たちだけがリスクに恐れていると『滑稽』に見られるので、
他人も巻き込んで、自分たちだけが『おかしいわけではないということ』にしたいわけです。
これは、新型コロナでマスクやトイレットペーパーの買いだめの行動が該当します。
マスクやトイレットペーパーがなくなる不安を買いだめという行動で安心したいのです。
当然、周りの人もマスクやトイレットペーパーが品薄になれば、不安になり買いだめするので、
さらに品薄になるという負のスパイラルが生まれるわけです。
失敗を受け入れられないシステムだから
日本は『失敗を受け入れないシステム』だからです。日本人が失敗に非寛容すぎることが大きな原因です。
日本には『一生懸命』という言葉があります。
一生懸命の言葉は『武士が一箇所の領地を命がけで守りそれを生活の頼りにして生きたこと』に由来しています。
一生懸命は、ポジティブにチャレンジするということではなく、
今の土地に留まって『現状を維持したほうが得策』だと考える農耕民族ならではの発想になります。
余計なことは考えずにひたすら現状を維持するという文化的発想は、徳川幕府体制を通じて徹底的に強化されました。
農民は農民らしく画一的であることが美徳とされて、人と異なることを独自性を主張は『不道徳』と恐れられました。
やがて武士社会から一般社会全体に浸透して失敗することを
チャレンジできないことよりも恐れる価値観を定着させました。
例えば、新型コロナのクラスターが発生していない公園や海などを一律自粛して
余計なことは考えずにひたすら現状を維持することを行います。
もし、自粛をせずに公園で遊んだりお店を開いたりと、
人と異なることを独自性を主張は『不道徳』だと言われる訳です。
失敗を受け入れない代わりに全体に我慢を強いることが日本人の美徳とされています。
日本人はリスクマネジメントを学ぶべき
日本人はリスクマネジメントを学ぶべきだと思います。
リスクマネジメントとは、
『リスクを客観的な数字やデータから見積もって、リスクを低減や回避するための対策を考えること』です。
主にビジネスなどで活用されますが。私生活や実社会でも有効的だと思います。
日本人は数字やデータから分析することが苦手な人が多く、結果的に属人思考が多いです。
属事思考:データがこう示しているから正しい確率が高いと考える思考→理系的発想法
日本は以前から『何もしなかったら42万人死亡者が現れる』と言われていましたが、これを信じる方は属人思考です。
専門家だから正しいと考えて、そのデータや根拠が正しいかどうかまでは判断していないからです。
本当に正しいのかどうかは『属事思考』で考えるべきです。
リスクマネジメントは、数字やデータからリスクを低減や回避するために対策を講じます。
リスクマネジメントを行うことによって『自分で取れるリスク』と『取れないリスク』を判断することが大切です。
リスクマネジメントの手順は以下の4ステップです。
②リスクを分析する
③リスクを評価する
④リスクに対応する
①リスクを発見(特定)する
まずはじめにリスクを目に見える形で棚卸しをします。
具体的には『自分がリスクだと感じることをピックアップ』していきます。
②リスクを分析する
リスクを棚卸ししたらリスクの重大さを明らかにしていきます。
具体的にはリスクが顕在化した際の『影響の大きさ』と『発生確率』を特定して
療法をかけ合わせた結果を物差しにそれぞれのリスクがどれくらい重大なものかを比較できるようにします。
影響の大きさや発生確率は可能な限り『定量化(数値化)』を行いましょう。
③リスクを評価する
リスク分析が終わると個々のリスク分析の結果を一覧として可視化しましょう。
具体的にはX軸に『影響の大きさ』をY軸に『発生確率』にとってリスク分析の結果に従ってプロットしていきます。
影響度が大きく発生確率も高い重大なリスクが可視化できるようになります。
ただし、影響度と発生確率も高いリスクばかり着目すべきとは限らないです。
リスクの重大さだけでなく、対応の順序にも着目することがポイントです。
④リスクに対応する
最後に優先度の高いと評価されたリスクに対して具体的な対策案を考えていきます。
リスクへの対応策は一つではないです。主に4つの対策があります。
軽減:発生確率または影響度を軽減する
転嫁:リスクを第三者に移転するという対応策
受容:リスクを受け入れる
ゼロリスクではなくリスクマネジメントを行いリスクコントロールする
この世の中には『ゼロリスクが存在しない』です。人間は様々なリスクを伴って生きているわけです。
だからこそ、リスクマネジメントを行い将来発生するリスクを能動的に把握して対処を行います。
リスクはリスクマネジメントを行い『リスクをコントロール』が必要があります。
新型コロナで『リスク』に関する日本人の概念を変えるきっかけになると良いなと思っています。
もしゼロリスク思考であれば、リスクマネジメントを行いリスクをコントロールできるようになりましょう。
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