こんにちはmasayaです。
日本には様々な謎なルールが存在しています。
その謎ルールに異議を唱えると『ルールだから仕方ないだろ』と一点張りの人が多いんですね。
今回は、ルールは守るものであるだけでなく自分たちで作っていくものであるという話についてです。
日本には多くの謎ルールが存在する
学校でも会社でも様々なルールがあると思います。もちろんルールを定めること自体は問題ないのですが、
日本には多くの謎ルールが存在します。
例えば、会社でハンコの承認する時にお辞儀しているようにつけなければいけないルールだったり、
学校でもこのようなルールがあります。
テレビではこのような謎ルールが紹介されていました。
今回は日本のルールについての考え方について解説していきたいと思います。
西洋人と日本人でルールの考え方が異なる
西洋人と日本人でルールの考え方が異なります。ざっくり分けると以下のようになります。
日本人:ルールは守るものであり、どんな理不尽でも守り続けることが美徳。
日本人は、
・ルール作りは人任せ
・ルール内で努力すればよいと考えてしまう習性
という特徴があります。ルールは誰かが決めてくれれば良いと思っており、
それがどれだけ理不尽でもルールはルールだからと考える人が多いんですね。
ルール作りは人任せなので思考停止している
しかし、ルールが整備されていない事柄が現れた場合どうでしょうか?
多くの人はルールによって考えることを放棄していたので『思考停止』して自分で考えることができないんですね。
自分の裁量で判断できない大人が非常に多いです。
よく見かけるシーンとして子供が親に何でこれがだめなのか?と聞いたりしている時があります。
すると親は『我慢しなさい!!』と大人が上から強制的に理由もなしに強要するんですね。
こルールがあることによって思考停止しているので、的確に子供のアンサーを答えられないんです。
ルールを正義と捉えた同調圧力が生まれる
ルールを守ることが美徳であるという考えが日本では根強いので、ルールを正義と捉えた同調圧力が生まれます。
特に日本人は相互監視社会なので、ルールを守れない人に対して同調圧力で潰しにかかります。
ルールを妨害する人は、わがままであり、平和を乱す敵としての解釈なのだろうと思います。
ルール自体が正しい正しくない関係なく、
ルールは守るものが美徳にされている以上変わらないんじゃないかなと思います。
同調圧力に屈すると『ルールを思考停止して守ればいいや』となるので、
社会全体が思考停止した人ばかりになるんですね。
『ルールを守れない人は協調性が無い!』という人自体が協調性が無い
ルールを守れない人は協調性が無いという人がいますが、
協調性を辞書で引くと
異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら
同じ目標に向かって任務を遂行する素質
同調圧力は多数派の考えを一方的に正しいと考えており、少数派の立場で考えることができないですね。
結局は、協調性が無いと言っている同調圧力の人も協調性が無いわけです。
では、少数派もより生きやすいようにどのようにルールを変更すべきかを考える必要があるんですよね。
ルールは守るものであるだけでなく自分たちで作っていくものである
たまにルールは弱者のためにあるという人がいますが、
これは間違いで、ルールはあくまで『作る側』が生きやすいように定められているんですよね。
しかし、時代によってはルールが合わないことも増えてくると思います。
そのルール自体が自分たちにとって生きにくいのであれば、時代に合わせてアップデートする必要があると思いますし、
ルールは守るものであるだけでなく『自分たちで作っていくもの』であると考えています。
米国のことわざに
テーブルにつかないのなら、君の名はメニューに載るしかない
If you’re not at the table, you’re on the menu.
というのがあります。
これは自分たちでルールを作らないのであれば、そのルールを守るしか無いと解釈しています。
ルールが実情に合わないと感じるのであれば、変更を提案してルール作りを率先して行う必要があります。
ただ闇雲に従うだけが正解とは限らないです。
自分がルールを作れるフィールドに立って意見を述べることも重要だと思います。
多様性だとか個性だとか言っている割にはルールだと言っている以上は全く説得力がありません。
様々な考え方や価値観を受け入れるためには、人としての心のゆとりも大切になってくるんじゃないかなと思います。
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